旧態依然

 

日本は「法の支配」から「人の支配」の国に 憲法学者

高見勝利・上智大教授(憲法学

安全保障関連法案は言うまでもなく違憲だ。憲法9条は武力の行使を永久に放棄しているが、外国から武力攻撃を受けた場合、かろうじて個別的自衛権の行使が認められると解釈されている。安倍内閣が「合憲」の根拠とする砂川判決も、1972年の政府見解(72年見解)も、集団的自衛権の行使を前提にしたものではまったくない。

 本来、安全保障関連法案は、憲法96条に従って国民投票を行い、集団的自衛権の行使を認める内容の憲法改正を行ったうえで成立させるべきものだ。9条を改正せずに法案を成立させるのは、国会だけで事実上の憲法改正を行い、国民の憲法改正権を奪い取ることにほかならない。(朝日新聞 2015.9.18)

 

憲法9条は武力の行使を永久に放棄しているが、外国から武力攻撃を受けた場合、
>かろうじて個別的自衛権の行使が認められると解釈されている。

いやいや、解釈されているって、解釈したらダメだろう。誰が如何なる権限をもって解釈しているのか。個別自衛権の行使が認められているって、誰だよそんなこと言ってるのは。

ここに学者の驕りを見る。解釈し整合性を担保してきたのは俺たち憲法学者だ! 俺たちの見解をベースに、国会も裁判所も国を治めてきたのだ。それを、国会で安倍総理ごときがひっくり返すとはけしからん。そういう意味では今回の騒動は、憲法に依拠する権威を誰が保持するのか、という権力闘争でもあった。

憲法を解釈するのは、解釈して法律に落とし込むのは国会? では、今回も国会が解釈したっていうことで宜しいんですよね?

法的安定性が損なわれる、との批判は一定の説得力があるが、これも法が想定する前提条件、今回の場合は「我が国をとりまく国際情勢」が変化していることを考えれば、時勢の変遷に合わせ(法を)変えていくことを否定出来ない。

自民党公明党が絶対多数を保持する国会で、旧態依然のロジックで事に当たった野党が敗北するのは必然であった。国会前でのデモも全く無力であった。野党は国民の大多数が反対している、というが、どちらかというと、変わらない野党勢力を冷ややかな視線で見ている。

 なぜ、こうも民主党はバカなのか。

憲法学者、なるものが、この程度の言葉遊びの域から出てこない所に、日本政治の未熟さ、思考停止の弊を見る。まあ、自分の食い扶持、土台からひっくり返されて慌てているのは判らんでもない。

では、憲法の存在意義はどこにあるのか? 憲法なんて、なくてもいいんじゃないか? というのはその通りで、別に憲法が無くても国は成り立つ。成り立つが、国の在り方を規定するベースとして、あっても良い。先の大戦後、国の在り方の一つを、戦力の放棄と規定した所は良かった。そこは良かったのだが、憲法が規定する通りの国に、ありつづけねばならない、と考えたのが大間違い。

変えればいいんですよ、憲法なんて。その時々、時勢情勢に合わせて国民みんなで議論して、進むべき道を決めていけばよい。それをせずに、政治的妥協の産物で自衛権はあるけど個別は使えて集団は使えない、とか、集団的自衛権の行使に抵触する可能性があるからダメ、とか言ってるからこうなる。

したり顔で、憲法を改正したうえで、なんて言ってるが、こうなった原因の半分は、情勢に合わせて適宜憲法を変えていくべき、という正論を決して言わなかった、憲法を守れとしか言ってこなかった学者連中にある。世情と憲法の定義する国の在り方が大きく乖離していることへの警鐘を鳴らさなかったのだから、まあ、自業自得ですな。