何故、素直に受け止められないのか
真珠湾で総理が慰霊の談話を述べ、未来へ向けた和解の重要性を語るのに、何故か噛み付く人がいる。何故素直に受け止められないのか? 何故、そこまで疑念の眼差しで見ようとするのか? 今も憎悪にかられて戦争が続いている世界がある。それでも、和解し手を取り合って進む未来が見えるのだ。諦めてはいけない。何の問題も無い。素直に頷いておけば良い。どうして自国の総理がまるで戦争を始めたくてウズウズしているかの如く貶めるのか? 批判にもなっていない。
勿論、額面通りに受け取る必要は無い。色々と思惑もあるのだろう。アレコレ想像して様々な検証を試みるのは悪い事では無い。しかし、検証と言うには余りにお粗末過ぎるのだよ。新聞に載っている批判は年寄りの愚痴でしか無い。
韓国大統領弾劾される
次の大統領を目指す闘いは始まっている。問題は候補者達の発言がドンドン過激になっている事だ。自陣を利する為なら威厳もかなぐり捨てる。威厳とは国家の威厳の事だ。誰かを貶める攻撃的な発言で民衆に媚びる。過激である程良い、とでも思っているのか?
以前に国を失った反省は何処にあるのか。戦略的に見切りを付けるべき時かも知れない。
日本で生まれ育ったタイ人少年「退去処分」取消し請求、二審も棄却
難しい。タイに帰してどうなるの? という問題が一つ。では、これで日本での暮らしを認めると、裁判所は同様案件で同じ判断をせざるを得なくなる。結果、何が懸念されるか?
支援する人達は何処まで考えているのだろうか? ただ、可哀想という話ではない。行政の裁量を法的根拠無く司法が縛る事は無い。緊急の生命が脅かされる程の危険性がなければ。
つまり、司法はこの少年をタイへ送り返しても死にはしないと判断したのだ。
法の運用にも民意が反映されるが、日本人はこの手の案件に厳しい。死刑制度が大きな支持を得ているのと相通じる。ある断面では究極の自己責任論をふりかざす。
難しい。同様案件にお墨付を与える程に日本人は優しく無いのだ。
年寄はどうするべきなのか
死を覚悟する。来月には五十だ。最近、時の流れが速い。感覚的に更に加速していくだろう。六十、七十、あっと言う間だ。働ける限りは働くが、最期の時はやって来る。私がボケたら手厚い見守りは不要だ。樹海にでも入って静かに消えるか? その分、子供達に回して欲しい。第二子以降の高校、大学の費用を無償化する位は必要だろう。社会が引き受けられる福祉負担には自ずと限度がある。最低限の生活を憲法が保障するとして、全員で餓えて死ぬ訳にはいかないのだ。
選ぶべきは次世代。
韓国のデモは暴発するか?
少し前なら、もうすぐ暴発する、と断言していた。今は判らない。平和裡に解決するかもしれないし、やはり暴力に移行するかもしれない。五分五分かなあ。ま、放っておくのが良いでしょう。向こうの内政の問題だからな。