人の命の重さは如何程か

命や人生に、特に意味は無い。その証拠にアフリカで子供達が餓死しても、僕達は3食、食べてる。飢えで死ぬことの辛さよ。我が子を飢えで失うことの悲しさよ。命がかけがえの無い物であれば、せめて2食にして彼等を救うのがスジという物だ。

二重顎の宗教家を疑え。

毎年、大勢が交通事故の犠牲になっている。その数、原発事故の比では無い。簡単に減らす方法がある。速度制限装置とドライブレコーダーそれにアルコール検出器と連動したエンジンスターター。難しい技術は何も無い。費用も微々たるものだ。それでも、全ての自動車にこれらの安全装置を導入するのは難しいだろう。コレを命の軽視と呼ぶ。

NHKハーバード白熱教室サンデル教授が、車の安全装置のコストを、人の命の値段と比較して論じていた。事故の確率と損害賠償の金額を勘案すると、安全装置の追加はコスト的に見合わない、とする自動車会社の選択は、正義か?

面白い議論だが、コスト評価のテーブルに載っている数字と、我が子を轢き殺されて絶望の底に沈む親の怒りは等価では無い。命の価値を誰が評価するのか、で様相は変わってくる。